関東軍
- 作者: 島田俊彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/06/11
- メディア: 文庫
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- それは「独走」の代名詞
なぜ関東軍は、独走したのか。独走できたのか。
そもそも陸軍自体が、独走していたような気もするが、その陸軍中央の統制に背いている。
組織論なのか、政治論なのか、それともイデオロギー的な背景があるのか。
この本では、「北向きの軍隊」であるがゆえに使命感と任務意識が「独走」というかたちになったと論じている
- 日本陸軍の伝統
現場主義、臨機応変、結果オーライが日本陸軍の伝統のような。
日清、日露とも、現場の指揮官の臨機応変な対応で勝利を重ねてきた伝統があるような気がする。
通信手段が、いまほどリアルタイム性のない時代には、現場での対応が戦機を決する。しかし、部分最適が全体最適になるとは限らない。戦術は戦略とはかならずしも連動しない。義経は天才的な戦術家であり、頼朝は戦略家であった。鎌倉と京都の間では、いちいち指示を仰いでいたら、それこそ戦機を逸する。一の谷から、屋島および壇ノ浦、義経の独断専行がなければ勝利を得られなかったであろうことも当然だろう。しかし、それでは、義仲レベルまでである。京に上ってそこからなにをするのか。なにをするために京にいくのか。
頼朝以前は、せいぜい官位と受領の地位である。しかし、頼朝は守護という国司と異なる人事権を創出したことが、武家政治を創造した。それが公家政治の範囲での平家との最大の違い。
関東軍は、石原莞爾と板垣の時のみは、戦略観があったが、それ以外は、所詮、対ソ戦略の範囲にとどまり、日本という国家レベルでの最適化はされていなかったということなのだろうか。