matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

コストの最適化と消費者利益のハザマ


白い恋人の販売が再開され、連日品切れとなる状況だそうである。
話題性が先行し、このままの売れ行きが継続するかは未定だが、今後、雪祭りのピークを迎え。しばらくはこのままの状況がつづきそうだとのこと。

みやげ物の定番という性質上、観光シーズンに売れ行きが依存し、ピーク時にあわせて生産を行うためには、生産設備を増強しなければならないが閑散期には、設備も人手も余剰となってしまう。設備に関しては固定費なので、コストとなることは必至だ。
経営の立場から言えば、コストを削減したいし、繁忙期のビジネス機会を逸したくないと考えるのは当然である。
生産の平準化は、効率的にはもっとも有効なやりかたであるが、需要時期には必ず波があるということだ。季節的なバラツキであれば、季節的な配慮も可能であろうが、週末と週間日ではなかなか人員調節もしにくにのではないかと思われる。
マクドナルドなどの外食産業では、週末は学生でそれ以外は主婦などより多くの時間労働者を確保することによって対応しているようだが、ある程度の習熟度が要求される生産現場では、質をともなった量の確保がむずかしそうでもある。

原料や中間財を冷凍や冷蔵でまかない、最終工程のみの生産日にどれほどの意味があるのかはわからない。
その意味で、つくり置きの冷凍化などはある程度理解できる。しかしながら、製造日の付け替えはあきらかに、選択する情報を入手できなくなり消費者利益を無視した行為である。
製造コストの上昇は、消費者利益になるとも思えないので、過度な対応がおきないかと心配にもなるが。


照葉樹林文化とは何か―東アジアの森が生み出した文明 (中公新書)

照葉樹林文化とは何か―東アジアの森が生み出した文明 (中公新書)

稲作という農業技術があまりにもエポックメイキングな出現だったのだろうか、稲作以前の農業が存在していなかったような印象が強い。
弥生文化以前には、日本には農業が存在していなかったことはけっしてないだろうし、人間が集団で生活できるためには、農業が必要である。
日本の稲作以前の生活が垣間見える書でした。
興味深いのは、「モチ」にたいするこだわりの説明だ。
米のウルチ米とモチ米が存在し、インディカ米との違いが大きい。
これは、風土的に適していた種の違いかと漠然とおもっていたのだが、意図的な嗜好がこれを成立していたのではないかということである。
我々は、祝い事があると赤飯など、オコワとよぶモチ米を食する習慣がある。この集荷を持つ米食文化と反インディカ米地域が一致するようだ。
では、なぜ、「モチ」的な物を好む嗜好ができたのかという説明が面白かった。
それは、「イモ」だというのだ。
たしかに、ヤマイモなどの自然薯のトロロなど粘りがある食物である。
イモはふかすのではなく、煮込むとドロドロとなり、たしかに「モチ」感である。
稲作以前の栽培種が、イモ、とくにサトイモタロイモなどであり、それが主食であったのは、湿度が高い地域では現実的であろう。正月に食する雑煮に入れられるモチは稲作以前は「イモ」だったのだ。


私はこうして受付からCEOになった

私はこうして受付からCEOになった

政権を退いた元権力者が書く自叙伝的な著作は、面白い。
一番の当事者、現場にいあたものしか書けないリアルな物語は飽きさせず、この本も一気に読んでしまった。
もっとも、自分の個人的体験にかかわる部分があったからというのも否定できないが。

しかし、個人的ななるが故に、非常に主観的である。
この本を読んで感じたのは、「藪の中」である。
芥川龍之介の小説なんですが、ひとつの事件を各当事者から見た複数視点から表現している。事実が人の見方や視点が異なるとまったくことなる真実?になる様である。
「世界のクロサワ」の黒澤明と共に「世界のミフネ」と呼ばれた『羅生門』の原作でもある。

HPとコンパックの合併時の状況は、下記本も参照したほうがいいだろう。

HP(ヒューレット・パッカード)クラッシュ 「理想の企業」を揺るがした1億ドルの暗闘

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私はあきらめない―世界一の女性CEO、カーリー・フィオリーナの挑戦

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