matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

東と西


私は、岐阜に生まれて途中に関東にいたが、今は名古屋で働いている。
土地柄か、東西の違いにあまり実感がわからないが、やはり東西は歴史的背景からいってもおおきな違いがあるようだ。

東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)

東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)

上記の本で面白く思ったのが

  • 東西男女の婚姻率
  • イエとムラ 東は家父長社会で父系、西は村社会で母系
  • 弓矢と石礫
  • 山賊と海賊
  • 荘園規模 東国は郡単位、西国は郷、村単位
  • 主従制的国家と、職能国家
  • 長子以外は従者化する東と、分家化する西

天皇家の基盤は、東であり、防人などの兵の供給源であったようだ。被征服民は征服側のリソースとして身内化される。源氏も兵士も、天皇家から派生した一族群であった。坂東の武士たちは系図上はほとんどが、源氏、兵士、藤原を祖先に唱っている。中央官庁からきた貴種をベースに豪族として組織化している図式が浮かんでくる。
私のイメージだと、関東は開拓地のイメージだ。原野に集団で開拓をおこなっていく。開拓団を組織するには、資本なり動員力をもつ組織力が必要であり、ヤマト政権が東を征服していったというより、集団で開拓していったのではないか。それは、アメリカの西部開拓と同じで先住民族を駆逐しながら、土地を占有していくのと同じ過程だ。縄文人先住民族であり、稲作という生産技術集団である弥生人が征服というより、土地を占有していったのではないか。ただ、稲作と、畑作というのは、農地の適正としては両立しないケースもあるので、最初はそれほど摩擦も少なかったかもしれないが。
前述の本のなかでも、東の畑作と西の稲作という比較をだし、ヤマトへの貢は、西は米中心だが、東は織物などであると述べている。
米というのは、軍事物資である。古代の軍隊にとって、必要なのは携行できる食料なり、食料ロジステイックスの確保である。大人数で敵地に遠征するには、消費するのは食料である。その食料の条件としては、保存性と輸送性である。
米は、保存が容易である。籾の状態であれば、1年以上の常温保存が可能である。また、籾状態の米には水分が少なく調理時に水を使用するのみなので、調理後の重量と輸送時の重量差が格段にある。また、米というのは完全食品に近く、別途用意するのは、塩と現地調達可能な水だけで生きていく事が可能だ。
ヒエやあわも同様な面をもつが、米は生産性が非常に高い。1粒の種からできる量が圧倒的に多いのだ。稲作技術を持つ集団こそ、遠征が可能な征服が可能にしたと思える。