matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

最近、新築が増えている


最近、自宅近くで1戸建てが建築中で、その横の空き地でも地鎮祭が行われている。また、近所でも複数が建築中だ。不動産投資が、復活し、都市部では地上げ屋なるものが復活しているようでもある。ただ、バブル以前の不動産投資は値上がり益を見込んでの投機的手段であったが、最近は家賃収入を前提にした、まさしく、不動産投資である。現金のままでは収益も上がらず、不動産に投資して、その家賃収入を、狙うと言う、まあ健全的な投資対象となっている。ただし、家賃収入が前提なので、借り手が、あるような利便性なりがあるかないかの価値が問われるので、昔の土地神話のように、なんでもかんでもというより、人気物件が限定される、また、その不動産の価値を見極める要素が必要となっている。

最近の不動産投資の特徴として、もうひとつあるのが、リフォームが注目されていることだ。古いオフィスビルを賃貸マンションにかえたり、IT仕様に変えたりである。
かくいう私も、2001年に、自宅を建て替えしている。家を買い換えるという選択ではなく、住んでいる家を建て替えた。わたしの家は、自分が生まれてから住んでいる敷地である。親は、新家で、次男と次女との核家族だったので、いわば、他所からきた住民で、当時の新興住宅地に建売を買って住み始め、その地で、私と姉を生んで育ててくれた。私自身、一時、都会で働いていたが、運良くいまは、生まれ故郷で、住んでいて、建替えまで行うことができた。

生まれた、あるいは、長年住み慣れた土地や、家に愛着ならずとも、なかなか動きたくないという心理はわたしならずとも、誰にでもあるのではないだろうか。

最近のお気に入りのテレビ番組のひとつに、リフォーム番組がある。それをみて、思うのは、なんて不自由な家に住みつづけているのだろうと思うことだ。不便きまわりのない家に住んでいて、リフォームを決意し、家を解体している工事を見ている家族は、一様に悲しげである。愛着というのは理屈ではないのだ。

大きな家も良いが、本当に必要なスペースはどれくらいなのかとも思ってしまう。自分の子供時代には、4畳半とか6畳とかで、一家全員が炬燵に入って、1台のテレビを見、食事を一緒にしていた。それが普通だった。

でも、いまなら、もうちょっと、広くてもいいなと感じますが。