matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

明治維新は変革の結果だったかも


大河ドラマで幕末物は戦国物についで人気があり、題材として取り上げられる。
どちらも、大きく時代の変化をもたらした混乱の時期である。中央政権のガバナンスが効かなくなり混乱の時期だったことは事実だが、変革が始まった時期でもあろう。政権交代によって新たな時代が到来し変革が始まったような印象もありがちだが、実際は変革が始まった結果、政治体制までもが変革をなし得たともいえる。
明治維新を推進した人材や技術の基礎は、明治以降ではなく幕末の体制の中で生まれたものであり、真に明治維新以後の担い手に切り替わったのは、日清日露戦争後ではないだろうか。

幕末維新と佐賀藩―日本西洋化の原点 (中公新書)

幕末維新と佐賀藩―日本西洋化の原点 (中公新書)

幕末、佐賀藩は、今でいう佐賀藩重工業とでも言うような企業体であったかのようだ。兵器を製造するための製鉄技術や造船などの技術的なことだけではなく、マネージメント能力を持つ人材を育成していたとも言える。
10代・直正(閑叟)は、大がかりなリストラを行い、役人を五分の一に削減、農民の保護育成、陶器・茶・石炭などの産業育成・交易に力を注ぎ藩財政を立て直した。これは、企業再生を行った経営者の手腕でありこれを実現するために、明確なゴール設定と適切な人材の登用により実現している。その元で有能な人材は、戊辰戦争に参加するために東上、江戸における上野戦争における軍事的な貢献というよりも、マネージメントが可能な企画やビジネス力に優れた。

薩長土肥というが、政治や軍事方面に薩長であり、内政面では実務能力を持った佐賀藩人脈がきわだっていたようだ。
その結果は明治六年の政変により、薩長閥により排除された真因だろう。

幕末の西洋技術導入における殖産は佐賀や鹿児島で始まったようだ。
長崎などにはいまだ産業がのこっているのだが、鹿児島はどうなっていったのだろうか。